雪舟絵画の見方 その2



1 写実的と抽象的な絵について

   絵は大雑把に分けて考えると、
「海」「山」「家」「人」「犬」「猫」「リンゴ」「花」「鳥」、、、、など
名詞で表される物を、紙などに写す絵と
「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「速い」「遅い」「のんびり」「不安」、、、、など
動詞、形容詞、などで表される、目に見えない物を、紙などに表現する絵があります。

名詞で表される物を描く場合、西洋では目で見える見たままに近い表現を
どんどん科学的に突き進めて、写真みたいな絵を発見した感じがします。

物質だけを描く場合は、それでいいのですが、
動詞、形容詞的な気持ちを紙の上で表現しようと思うと、
写真のように見えたままを描くのでは、表現しきれない、というか
気持ちを描くのには 物を写真のように描く必要はありません。

1) 写真のように対象物を科学的に正確に写す、精密描写の
一見写真かな?と思うような絵もありますが。

2) 絵で描く面白さと言うのは、写真のように正確に描こうとしながらも
筆のタッチが、「優しい感じ」とか「勢いがある」など、作者の感情の部分が
加わるところです。
写真のように似せて描きつつ、タッチ、や色のトーンに個性が出て
それが面白いというのを、突き進めて考えると、

3) 「形(デッサン)はちょっと適当でいいや、タッチや色をもっと面白くして
自分の気持ちを強調しよう」と言う感じの絵が、
(作者の意思は違うかも知れないが)鑑賞者としてみると
ゴッホやセザンヌなど日本人が好きな印象派などがわかりやすいと思います。

4) 「物質が何かは解らなくてもいい 色とタッチだけで 平面を構成しよう」
と言うのが、まるっきり何描いてるか(何の物質)解らない、絵の具を塗りたくった
抽象画などです。

段階的に、徐々に 名詞の部分(写実)と 形容詞の部分(抽象的)の比率の違いで変化して行きます。

写実から1)→2)→3)→4)と抽象的になっていく。

(注)写真でも夏の海を撮れば楽しい感じ、夕方に路地裏を撮ればしみじみした感じなど
気持ちの表現が出来ますが、この文章の場合単に、物質をそっくり写すと言うことに付いて
「写真の、、」と使ってます。


2 写実と抽象画、描く時のそれぞれの主な関心事。


写実は、わかりやすいと思いますが、デッサンが基本です。
描く対象物を科学的によく観察して
光の具合、影の様子、透視図法的な遠近感の付け方、など物質を見たまま、写真のように
捉えて紙に写すことが、基本になります。

今の日本の美術教育は、デッサンが基本になってます、明治以降、または戦後どんどん
西洋を勉強しようと言うことから、西洋的な絵画の基礎を学ぶことが重要視されています。
芸大美大の入試にも、デッサンが重要課題となってます。
写実的に物が描けるようになってから、作品の創作に移るようなところがあります。
ですから、デッサンが下手な人が作品を作っても 下手な絵だと言うことになります。

抽象画は、物質の形で何が描かれているか?と言うことは、あまり言いません
「写真のように描けてる」、と言うのは意味が無く。
それなら何をもって上手い 下手と判断するかというと、画面構成になります。
四角い画面の中に、色、形、など絵の具などでつけた模様の配置の具合によって、
作者の意図するイメージを伝えることが出来ているか?ということが上手い下手の判断になります。

「抽象画で画面構成」と言うとわかりにくいかも知れないので、
一般的によく目にしてわかりやすい例として、雑誌の広告や、本の表紙などのレイアウト(画面構成)が
良いか悪いかで考えてもらえれば、理解しやすいと思います。

広告の場合、余白の取り方、文字の大きさ、色の配置などで、伝えたい内容 一番強調したい言葉
重要では無いが見せたい文句、大人向けの広告か?子供向けか? スーパーのチラシか?
ブランドの鞄の広告か? 。
実際に、画面全体で一枚の写真だけの広告は無く、どっかに字が入ったり
いろんな物の写真を切り張りして、あっちこっちの並べたり、伝えたい物の欠片を
並べるだけでは、見てくれる人に 効率良く言いたいことが伝わりません。
何を使って、それを伝えるかと言うと、画面構成です。
平面上に配置する物の並び具合で、表現します。

デザインとして 文字だけで伝えたいことが表現できれば、絵や写真を使う必要はありません。

抽象絵画はそれと同じです。
写真のようにデッサンが描けるか?より、画面の構成力があるかどうかが重要になって来ます。
写真のように描かけても、構成力が無ければ、ダメです。

(注意 どちら側でも最終的に良い作品をつくると言うことでは、デッサン力も活かし
画面構成力も活かし良い絵がかけるので、山に登る時、北から登るか南から登るか?の違いで
頂上は同じです。)


3 雪舟の絵

上に書いた、写実的と抽象的な絵の違いを踏まえて、雪舟の水墨画を見ると、
まるっきり写実画というのでは無く、抽象画っぽいところもあるのがわかると思います。
(雪舟の時代に写真のように紙に絵を描くという、意識は当時の人間には共通の意識としては無かったと
思われるので、今我々が考える写実画と言うのにきっちりあてはまる方が、おかしいと言えば
おかしいことなのです。)

人間の物の見え方を科学的に研究して、目に見える世界を物質的にだけ解析し絵に描く、と言うことは
当時の日本人としては 地球が丸い?と同じくらいわからないことだったと思います。
目に見えてる物が、物質、だけに限定する必要がなかったと思うので、精神的な物も大きく関わって来て
絵の中に描いても、違和感は無かったと思います。

例)「山で出会った、1.2mのツキノワグマに驚かされた人が、恐怖心から熊が大きく見えて
2mくらいの大きさで表現した熊の絵の方が、実際の1.2mに描いた熊の絵より、
リアルだと言うように、気持ちが入って普通だったと思います。」
水墨画には、今の人が言う厳密に写真のような実物の風景よりは、気持ち的な物が絵の中に入って来て
自然だと思います。
その上で、雪舟は当時の人の普通の水墨画家より さらに抽象画的な画面構成という意識を、
絵を描く上で持ったと思います。

水墨画を描く為の、岩、樹木、それぞれのパーツを使って、画面を作ると言うことを強く意識したと
思います。
どのように作るかと言うと、以前からも山水画の構図の基本的な組み方は 中国で受け継がれたものが
基本としてありましたが、(参考に清時代の絵の教科書ですが芥子園画伝など)
雪舟のオリジナル的な所は、飛び出す絵本の様に、立体的に絵に奥行きを持たせて 画面を作る所です。

雪舟の残っている絵をみると、真蹟だろうと思われる絵は、飛び出す絵本的に立体感が出やすい構図を
意識して、岩や樹木が配置されています。
飛び出す絵本的な要素が弱い、天橋立図などは頼まれて描いたのでは無いだろうか?といった感じが
します。

太い線も、墨の濃淡の付け具合も、絵が飛び出るように 飛び出るようにと、描くと
誰が考えても(後からいろんな情報を知った上での意見ですが)自然と雪舟の様になっていくと思います。

雪舟の絵を模写する時 飛び出ると言うことを意識しながらする模写と、線や墨の濃淡だけを意識して
模写する絵とは、自然に違った物になり、飛び出ると言うことを意識した方が、雪舟の絵を
自然に写すことができ、なおかつ本物に近くなると思います。

そう言うことを、意識して 伝雪舟の絵を見ると、何故「伝」であるかが解ると思います。
伝雪舟を描いた人達は 今の人に比べて昔の日本画家達の線質は、大変良く描けていますが、
飛び出して見えると言う意識が、薄い気がします。

画面構成を重視しているということですが、上の抽象画の説明のように、雪舟も岩、樹木、などの形より
画面構成が大切だと、感じているようです。
現在のチラシや広告のデザインの様に
いろいろな、岩、樹木、などの形を配置して、「飛び出す面白さ」をキーワードに
雪舟は四角の平面に、山水画の世界を作ったのだと感じます。

エカダンピ図も飛び出すように描こうとしてる為、だるまの縁の線を太くして
周りに薄墨でぼやかしてるのがわかります、そのせいで 飛び出して見えます。
岩も立体的に見えると思います。


平成14年6月 長尾 正大 

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